いよいよルマン24時間レースの本線が目前まで迫ってきましたね!あ、お久しぶりですコースケです!

RX-7やマツダ車に乗っていると、「ルマン」というフレーズは一度は聞いたことがないでしょうか?

居ませんか?お知り合いやたまに見かける車のナンバーが「・7-87」の人……

あれ、なんの希望ナンバーなのか疑問のままの人も多いはず。

というわけで今回は、いまいち全貌がよく分からないこのルマンの熱い歴史と、劇的なドラマが繰り広げられる見どころを紹介していきたいと思います!


もくじ

・そもそもルマンって何?

・「ルマン式スタート」

・様々なスピードクラスのマシンが混戦!

・公道を駆け抜けるサルト サーキット

・熱いドラマが繰り広げられる、波乱のレース展開!

・大会史上初!日本メーカーの総合優勝


●そもそもルマンって何?

このレースは名前の通り、24時間マシンを走らせ続け、より多くコースを周回したチームが優勝となります。

1923年の開催以来フランスで行われる耐久レースで、世界三大レース(ル・マン,インディ500,モナコグランプリ)の一つとしても数えられ、出場するだけでもその名誉を称えられる伝統的なレースなのです。

一言で「24時間走らせる」いうとごく簡単に思えますが、24時間という時間を走らせ続けるには天候やマシントラブルなど刻一刻と変わる状況にリアルタイムで対応しなければなりません。ただマシンが速いだけではなく、メカニックやドライバー、そしてサポーターたちの円滑なチームワークが勝利の鍵を握るのです。300kmという超速度で周回を重ねるマシンにはほんの些細なミスやトラブルでもドライバーの命につながる為、最後のチェッカーフラッグを受けるまで油断を許されない非常に緊張感あふれる戦いが繰り広げられます。

そして、このレースの最大の特徴はなんといってもフランスの一般道を経由する公道サーキットであること!1週13.6kmの大部分は、普段はル・マン市民が交通に使う一般道で占められているのです。コースについては後ほど詳しく紹介いたします。

ル・マンを制したチームには、世界的名誉が与えられます。昨年はトヨタが悲願の総合優勝を果たしましたが、実はそれよりも27年前、日本メーカー初の総合優勝を飾り一世を風靡したのはなんと「マツダ」だったのです。こちらも詳細は後ほど……

●「ル・マン式スタート」

歴史の深いルマンでは独特のスタート方式を採用してきました。コースの片側にマシンを並べ、スタートの合図と共にスタンドからドライバーが駆け込み、エンジンを掛けて飛び出していくスタート方式は、「ル・マン式スタート」と呼ばれ、現代でもバイクレースや一部草レースでも取り扱われることがあります。

ル・マンでは、速さと併せて時代に沿った車の性能を競う場でもあります。ル・マン式スタートは、車の始動性や乗り込みやすさという観点で評価をするために採用されていましたが、少しでも早くスタートを切るためにシートベルトを装着せずに走り出す選手の続出や、スタートダッシュでの混戦・事故を踏まえ、現在では廃止となりました。

●様々なスピードクラスのマシンが混戦!

現在のル・マン24時間レースは、同時に4つのスピードクラスのマシンが混走します。

当然クラスによって速さが違うため、コース上では思わずひやっとするオーバーテイクが繰り広げられることも……

では、そのクラス分けを簡単に見てみましょう!

LMP1 (Le Mans Prototype1)

プロトタイプマシンと呼ばれる、レースの為に最新鋭の技術で専用設計されたマシンで参戦するクラスです。

エンジン気筒数と最大排気量は自由ですが、車両重量や車格など厳格なルールが規定されています。

ハイブリットシステムが採用されたマシンは、さらに細分化されLMP1-HYクラスとなります。昨年優勝したトヨタはこのクラスに属しています。

また、ドライバーに関しても豊富なキャリアを持ち合わせていないと参戦できない、ルマン最高峰のクラスなのです。

LMP2 (Le Mans Prototype2)

同じくプロトタイプマシンが使われるクラスで、プライベーターチームが参戦するクラスです。

決められた4社のメーカーから選んでシャシーを購入し、ギブソン製のV8・4.2リッター自然吸気エンジンを搭載することが義務付けられています。車両スペックに差がない為、実質ワンメイクレースと言えるクラスでしょう。

LM GTE-Pro (Le Mans Grand Touring Endurance Pro)

市販のスポーツカーをベースとした競技車両が参戦できるクラスです。

プロドライバーがもっとも多く集結するクラスで、4WD、オートマ、セミオートマ、アクティブ・サスペンションの使用が禁止されています。

LM GTE-Am (Le Mans Grand Touring Endurance Amateur)

基本的にProと同じ構成ですが、使用できる車両は一年前のもの或いは前年の規定に沿ったものとなります。

アマチュアの選手でも参戦が可能ですが、チームにキャリアドライバーを含める必要があります。

その他、クラス分けの詳細についてはこちらから

やはり目が行くのはプロトタイプマシンを使ったLMP1クラスの戦いですが、その傍らGTEクラスはメーカーの威信を掛けた熾烈なバトルが繰り広げられます。時には下位クラスが上位クラスのマシンを追い抜くことも。

24時間戦い抜く上で、各クラスのチームがどんな戦略を練っているか垣間見ることができるのも楽しみのひとつでしょう。

●公道を駆け抜けるサルト・サーキット

前述で少し触れましたが、ル・マン24時間レースでマシンが駆け抜けていくのはフランス郊外の公道を隔てた特設サーキットです。

特に「ユノディエール」と呼ばれる直線は最高速度300km/hを超えるストレートであり、コースの名物となっています。コース改定まではなんと全長6km、アクセル全開時間は1分という強烈なストレートでした。時代とともにマシン技術が発達し最高速度400kmを超え出すと、安全の観点から中間に二箇所のシケインが設けられました。

元ルマンドライバーの故・片山義美さんはこのストレートでは脇の林の木の数を数えブレーキングしていたと云います。また、弟の従野孝司さんはコーナーが見えてくるとほっとするという程、ドライバーにとって神経をすり減らす直線だったと言えるでしょう。

現在、コース全体の周回平均速度は約240km/hとなり、1周のラップタイムは2017年に日本人ドライバー・小林可夢偉選手が予選で記録した3分14秒791です。

●熱いドラマが繰り広げられる、波乱のレース展開!

24時間何のトラブルもなく速度を落とさず走れたら、なんと素晴らしいことでしょう。チームとしては勿論ノントラブルを一番に願うのですが、そう甘くないのが現実です。

一年を通して世界中で数多のレースが繰り広げられますが、このル・マンひとつ取っても実に多くのドラマが繰り広げられています。

古くから「ル・マンには魔物が棲む」という言葉があります。一見快調そうに見え、100%優勝するであろうと確信していても、チェッカーフラッグを通過するまでは絶対に油断できないのがこの耐久レース。ル・マンの勝者は、チェッカーを受けてなお走っていた者にのみ与えられるのです。

2017年、トップで走り続け残り6分で26年ぶりの日本チーム優勝となるはずだったトヨタチームを悲劇が襲います。

「No Power!No Power!」

ドライバー・中嶋選手の無線がピットに飛び込みました。

それまでトラブル無く走り続けていたマシンは突如として力を失い続け、チェッカーフラッグの約3分前、ホームストレートを目前についに停止。成す術なく、リタイアとなったのです。

余りにも残酷なこの最後はレース史でも語り継がれることとなりましたが、翌年の2018年、トヨタGazoo Racingは見事優勝を果たしました。

●大会史上初!日本メーカーの総合優勝

ル・マンはその名声の高さゆえ、世界中の強豪たちがこぞって参戦し技術力をぶつけ合ってきました。

そんな世界最高峰の戦いに挑み続け、ついにサーキットに日の丸を掲げたのは日本の「マツダ」だったのです。

1991年、グループC(現代のLMP1クラスに該当)の規定改定によりロータリーエンジン搭載車の参戦が今年度限りで出場不可能となりました。かねてからロータリーエンジンで戦い続けてきたマツダにとって、最後の挑戦となったのです。

前年のル・マンでは厳しいスケジュールや突然のコースレイアウトの変更、そしてテスト日の天候不良などにより新型マシンが熟成できず、惨敗を喫したマツダチーム。翌年、最後の望みを託し、持てる技術を結集して完成されたマツダ・787B 55号車は鮮やかなグリーンとオレンジのカラーを纏ってコースに送り出されたのでした。

大きなトラブルに見舞われることもなく、順調に周回を重ねていた55号車はレース終了の約3時間前、なんと2位まで順位を上げていました。トップを走るメルセデス・ベンツ・C11は3周先を周回していましたが、6月24日午後12時54分、C11にマシントラブルが発生します。

それは少し前、周回速度を上げるよう指示を受けた55号車とのマージンを取るべく、エンジンに鞭を打って走り続けたことに起因するオーバーヒートでした。C11がピットストップで足止めを食らう中、その約10分後、ついに55号車がトップへと躍り出たのです。

C11はリタイアとなりましたが、後続では2位・3位・4位をジャガーが固めています。ほんの少しのトラブルも許されない極限の状態で迎えるドライバー交代のタイミング。しかしマツダは、コースとマシンの現状を一番把握している今のドライバーに全てを託し、交代することなくコースへと送り出しました。

そして午後4時、モノトーンのチェッカーフラッグが空を切ると、レースの終了を待たずして観客たちがコース上へとなだれ込みました。ル・マン史上初の日本の総合優勝。誕生から数多の困難と挫折を乗り越えたロータリーエンジンが、24年の挑戦を経て世界の頂点に立った瞬間でした。3シフト分のドライバーを務めたジョニー・ハーバートは脱水症状から表彰台に上がれず、医務室へと駆け込まれました。

総合技術監督を務められた松浦國夫さんは、当時を振り返りこうおっしゃいます。

「私たちがやり遂げたことは、”第一の飽くなき挑戦”でした。”第二の飽くなき挑戦”は今のスカイアクティブテクノロジー、そして今私たちは、皆さんに”第三の飽くなき挑戦”を期待します。それはまだ何か分かりませんが、是非、未知の領域に挑戦していただきたいと思います」


ル・マンでは毎年、数多くのドラマが繰り広げられます。

史上最多のエントリー数となる今年度、果たしてどんなドラマが繰り広げられるのでしょうか。

日本時間では6月15日(土)22:00頃スタートです。

世界を制するのは誰か?必見です!